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沖縄戦から75年の慰霊の日を迎えて(談話)

2020年6月23日


沖縄戦から75年の慰霊の日を迎えて(談話)


社会民主党幹事長 吉田 忠智


1.本日、おびただしい数の住民を巻き込んだ悲惨な地上戦で20万人を超える尊い命が奪われた沖縄戦から、75年の慰霊の日を迎えた。沖縄戦は、1945年3月26日、米軍が沖縄・慶良間諸島に上陸して始まり、同年6月23日、旧日本軍の司令官が自決し組織的戦闘が終結したとされる。苛烈を極めた沖縄戦では、沖縄のほとんどが焼き払われ、沖縄県民の4人に1人が命を落とした。沖縄戦の犠牲となられたすべての方々のご冥福をお祈りするとともに、改めて沖縄戦の体験を継承し、沖縄戦の実相と教訓から学び、不戦と平和創造の礎を築くことを誓う。


2.沖縄戦は、「国体護持」のため、本土上陸を遅らせる時間稼ぎの捨て石であった。住民が総動員された「軍民混在の戦場」であり、正規軍よりも一般住民の死者が多かった。沖縄県によると、一般住民の犠牲者は、推計約9万4千人に上る。旧日本軍は、食糧を強奪し、壕やガマに避難した住民を、砲煙弾雨の中に追い出して、自分達が隠れたのである。スパイ嫌疑による虐殺も相次いだ。「集団自決」への軍の命令・強制・誘導も行われた。しかも、旧日本軍の軍事施設がある島や旧日本軍が駐屯する島だけがアメリカの攻撃に遭い、甚大な被害を受けている。戦争体験者が少なくなる中、二度と同じ過ちを繰り返さないように、大切な命を犠牲にしないように、こうした沖縄戦の実相をしっかりと学び、過酷な地上戦から導かれた、「軍隊は住民を守らなかった」という教訓をしっかり継承し、戦争を生き延びた人々の体験、思いをつないでいかなければならない。


3.一方、沖縄戦の帰結として、1972年まで沖縄は、米軍統治下に置かれた。米軍が「銃剣とブルドーザー」で住民を追い出し、土地を強制的に接収し、基地を建設し拡張していった。今も沖縄には、国内の米軍専用施設の7割超が集中している。大変理不尽で、許されるものではない。県内には約2000トンの不発弾が埋没していると推定されている。「世界一危険」な普天間基地に配備されたオスプレイは、日米の騒音防止協定で飛行が制限されている午後10時をすぎても民間地上空を、我が物顔に低空旋回し爆音をまき散らしている。普天間基地からは有害な泡消化剤が流出し、昨22日には嘉手納基地で火災が発生した。米軍は今日もなお、多くの事件・事故を引き起こし、沖縄の人びとの命を危険にさらし続けている。そのうえ安倍政権は、幾度も示された県民の民意を一顧だにせず、辺野古新基地建設を推し進め、土砂の投入を強行している。米国の要求で進めてきたイージス・アショア計画を停止できるなら、「辺野古が唯一」との神話からも決別できるはずである。


4.戦争を二度と繰り返さないこと改めて確認し、恒久平和を発信するための日である「慰霊の日」は、この先も特別な日でありつつけるだろう。辺野古新基地建設阻止を訴え、志半ばでなくなった翁長雄志前沖縄県知事の「グスーヨー マキテーナイビランドー チバラナヤーサイ!(皆さん 負けてはいけません 頑張りましょう)」という言葉が頭から離れない。沖縄戦から75年の今日を迎え、社民党は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」し、戦争放棄と平和的生存権を宣言した平和憲法を活かし、「平和で誇りある豊かな沖縄」を実現するため、全力をあげることを改めて誓う。


以上




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